R.Feynkidの
ぶやき

幽霊が見えるメカニズム(駄)仮説

 幽霊が見える人がいるんだそうな。で、例をあげると『通る道で、横目に人がぶら下がっているのを、いつも見ていて、堪りかねて友人に「ねぇ、あれ、警察に言った方がいいよねぇ。」と言ったら、何のこと?というリアクションだった。』というような人がいるらしい。嘘か本当かは判らない。我々は、というより、ほとんどの人は幽霊を見ないし、見たことないし、信じていない。今のところ、科学でいることの証明はされていない。よって、いない、いないから見えるはずがないというのが、恐らく、頭のおかしくない(と思われる)人の取る答えだろう。が、科学というものは、全部を否定してはならないものなはずなので、視点をガラリと変えて『幽霊が見える人がいる』という前提で、考えてみようと思う。ただ、断っておかなければならないのは、検証しようと思えば、出来なくはないのに、やらない陳腐な説、言わば(駄)である事だ。エセ科学とは、こうやって生まれていくのだろう(笑)。げんね。

§

 人間が見るということは、どういうことだろうか? 単純には、光が眼の網膜を刺激し、その信号が脳に送られ、脳がそれを像として解析、理解する、でいいだろう。どう解析して、理解しているかについては、まだまだ謎多き部分の様だが、そうやって見ることに、我々は"慣れて"いる。物理的な要因(眼と脳がある)と、訓練(目を開いて、見た結果をフィードバック)によって、見るということができる。
 ならば、見えるとは、この組み合わせ、この動作、での結果のことでいい、よね? 心で見るなんてのは、精神論であって除外というのも、話しの単純化として賛同していただきたい。
 幽霊も、眼を通じて見る、でいいよね? 幽霊は眼以外に、脳に直接働きかける、なんてのは、かなり無理がある。電波とか磁場とかね。もし、幽霊が、脳に直接像を展開できる能力があるというのなら、別な話しであるが、「貴殿は、人の脳に、直接像を描く方法を知っていますか?」と問えば、答えはNoであろうから、幽霊が人間の成れの果てという前提ならば、その能力は無いと考えるのが自然である。また、直接脳に像を結ぶのであれば、幽霊が見える人が、事故などで視力を失っても、幽霊だけは見えるという、無駄で異常な世界を展開することになる。やはり幽霊を見るとしても、我々は、眼で見ることしか出来そうもない。

§

 人の眼の性能というのは、男女で若干違うらしい。どうやら、男性より女性の方が、青方向、すなわち波長の短い色を、より認識できるのだそうな。男女で差異があるのならば、個人個人での差異もあるはずである。人間は意外と大きな差異がある。典型的なのは、肌の色だ。人種によって大きな差異があるのは、誰もが認めざるを得ないだろう。ならば、眼も大きな差異がある可能性がある。青方向に差異が認められるならば、もっと短い波長の紫外線が認識できる人がいるかもしれない。そう、もし、幽霊が紫外線領域のエネルギーの塊であれば、紫外線領域が見える人だけ、見えるということになる。ほとんどの人には見えなくて、フィルムには映るというのも、これで理屈がつく。紫外線はエネルギーが高いので、少しは感光するだろう(知らない(笑))。幽霊が紫外線領域のエネルギーの励起体なのか? という突っ込みは、とりあえず放置したい。今は、無理やり"見える説"を構築中だ。
 この考えには、一応当てはまる理由がある。それは"子供の頃は良く見た"という証言(?)だ。これは、子供の頃は紫外線領域が良く見えていたのだが、普段の生活で、主に太陽からの紫外線で、網膜の紫外線領域を認識できる細胞が劣化し、徐々に見えなくなって、ある程度の年になると、紫外線と共に、幽霊も見えなくなってしまう、という事ができるだろう。
 ならば、紫外線が眩しいと感じないのか、という疑問が湧くかもしれないが、可視光線領域だって、強い光があれば、瞳孔が閉じるし、慣れというマスキング効果も起こる。黒以外の色付きのサングラスをかけていても、その色が気にならなくなる。
 人間は、徐々にという変化に弱い。徐々に紫外線領域が見えなくなっていくのであれば、知らず知らずのうちに、幽霊が見えなくなって、いや、紫外線が認識できなくなっても、分からないのではないだろうか。しかし、実験で実証するのは、はばかられる。何せ、子供の眼に紫外線を当てて「見える?」とやらなくてはならないだろうからだ。眼に悪すぎる。どうしてもやるならば、紫外線を通しにくいフィルム有りと、無しでの、部屋の明るさの違いでも答えてもらうくらいしかないだろう。幽霊論程度で、無茶はマズイ。
 いかがだろうか? かなり無理があるが、絶対にいないと言い切らずに、いるという前提で考えれば、あなたもトンデモさんの仲間入りだ。そして、真摯に検証していけば、たとえアマチュアでも、エセではない科学者の仲間入りだ。幽霊は見えなくても、真実なら見えてくる。

もどる

(C)2012 Richard Feynkid