R.Feynkidの
ぶやき

髭ヅラ消滅運動

敵視はしない

 決してイスラム圏を非難しようという訳ではない。はじめに断わっておこう。私(すべての人)は、ひとんちの文化を、とやかく言う野暮はしてはいけないと、思っている。我々の価値観や文化を押しつける事は、それこそ、西洋圏(今や日本も入るであろう)の横暴だろう。彼等は、我々西洋圏から見たら、度が過ぎているに過ぎない。非人道的と思われる事も、彼等の規律(戒律?)から見れば、普通なのだろう。もちろん、彼等も我々に対しては、我々のやり方に敬意を払ってくれなければならないのは、国際社会の一員として、当然の事ではあるが…。
 髭ヅラ=イスラム=悪と言っているのではない。彼等のほとんどは、イスラムの厳しい戒律を守り、日々精進し善良なはずだ。アメリカのイラク攻撃の時に、西側の報道陣を「危ないからこっちへ来い」と、自分達の避難溝に隠してくれたり、大使館を略奪から守ったのは、地元の人だった、等々、「命がけのいい人エピソード」があるではないか。だから、文化としての髭ヅラを悪いとは決めつけない。

日本の戦国時代から

 日本の髭ヅラと言えば、古くは聖徳太子や、戦国時代の武将だろう。歴史の授業を思い出していただきたい、この頃までは、ずぅーっと混乱・戦乱の時代が続いた。もっとも、二千年近くもあったのに、教科書一冊に、あれ位しかエピソードがないんだから、結構のんきなもんだったかもしれない。が、しかし、一時期は戦国時代なんて言われる位だから、混沌とした時期だった、としておこう。その間、お偉いさんの肖像画は、髭ヅラばっかりだった。
 徳川の時代になって、髭は「戦国時代を彷彿させる」と、事実上(暗黙の了解というやつか)禁止となった。そのお陰だけではないと思うが、人類史上稀な長期間、大きな戦いもなく、平和な時期が続き、特に江戸や京・大阪は栄えた。石坂水戸黄門の時に、「ヒゲ無し黄門様」で話題になったが、実は歴史上、矛盾の無い話しであるのだ。穏健派の光圀が、ヒゲ付きというのは、よく考えれば、不思議なものだ。
 その穏やかな江戸時代も終わり、明治・大正・昭和と続くが、また、髭ヅラが復活してきた。ご存じの様に、日本はアジアを攻撃し、世界を巻き込んだ大きな戦いを、2回もした。またも思い出していただきたい、その頃の、胸にいっぱいの勲章やら、何やらを付けて、威張って写真に写っているのは、やはり髭ヅラだ。髭が無いのは、徴兵された一般人である。

女性の力は平和のバロメーター

 戦争が終って、髭ヅラがいなくなり、平和が続くと、女性が台頭してくる。江戸時代の大奥の繁栄や、落語に出てくる恐妻なんかが、その象徴だろう。落語は別か? 第二次世界大戦が終わり、強くなったのは、女性とストッキングだ、なんて言われていたら、50年も平和な日々が流れ、日本は平和ボケと言われる位になった。やはり、その間、男達は髭を剃り続けた。無論、女性にも髭は無い。
 戦後はなぜ、髭を剃ったのだろう? やはり、戦中の「ボス(上官)=髭ヅラ」のイメージが、当初あったのかもしれない。漫画でも、社長や部長といった人物を描くのに、髭ヅラが登場する。都市部の男達がサラリーマン化し、ボスと配下の図式が明確になった事が、原因なのか? まさか平社員が、偉そうに髭を生やす訳には、いかなかったのだろうなぁ。
 現在では、平社員時代の名残か、世代交代によって、経営陣(ボス達)も髭ヅラは陰を潜めた。髭を失った事で、「偉そう感」が無くなり、職場では横並びで威勢が無くなり、家庭では小さくなりと、ますます女性の力が強くなった。政治の世界でも、一時期の「マドンナ旋風」なんかが、記憶に新しい。とにかく、平和な時代だった。
 記憶に新しい出来事は、まだある。アフガニスタンが、髭ヅラを強要するタリバンから解放(?これには異論があるかもしれないが)された時に、真っ先に動き出したのは、女性達だった。教育や女性の権利向上に、積極的になった。顔を出して、町を歩く女性が出現しただけでも、画期的な事だった。飛躍的に女性の地位が、向上したと言えるだろう。世界はそれを見て、混乱の無い平穏(平和ではないだろうなぁ)の訪れを、感じたに違いない。

髭はちんちんだ

 髭は、いかにも男らしさを強調するものだろう。男性にあって、女性にないものといえば、せいぜい男性性器(以下「ちんちん」)と髭ぐらいだ。「らしさ」を意識する時は、身体的特徴を気にする。性同一性障害を持つ人が、自分のいらない部分、欲しい部分があるのは、そのせいだ。ヘテロの人だって、無意識に「らしさ」の定義を持っているだろう。
 男性が勢いづいている時は、男らしさを強調する。力コブを作ってみたり、重量上げでもして、力のあるところを見せつけてみたりする。それに加えて、男性はちんちんの大きさも気にするので、自信のある者は、それを誇示したいところだろう。もっとも、女性も乳房の豊かさを、気にするが…。女性は胸元の少し開いたドレスなんかで強調したり、服の上からも、バストの大きさがわかるので、問題ない(?)が、男性はそうはいかない。誇示はおろか、強調するのもはばかられる。というか、大いに問題だ。
 そこで、ちんちんの代替品として登場するのが、髭だ。立派な髭を生やす事で、男らしさを誇示し、且つ自分を鼓舞する事ができるだろう。髭は、遺伝もあるだろうが、男性ホルモンがギンギンでなければ、薄くなる。「立派な髭=男らしい」は本能に元づいた感覚と言えるだろう。「魅力的な女性に出会うと鼻の下が伸びる」なんて揶揄があるぐらいだから、鼻の下とちんちんがシンクロしていて、ちょうどいい。(ちょっと下品だったかな。すまん。)
 余談になるかもしれないが、どこぞの総理は、髭こそ無いが、その髪形が「ライオンの鬣(タテガミ)」に例えられている。鬣も雄にはあるが、雌には無い。本人もそう例えられる事に、まんざらでもないようなので、純粋に見れば、微笑ましい事だが、国民が無意識に強いリーダーを求めているとしたら、危険な事だ。スポーツの世界では今だに「神風が吹く」国民である。心の底にくすぶっているものがあっても、全然おかしくない。ライオン首相が夕日をバックに演説しはじめたら、この国も終わりだ。
 と言う訳で(?)、私から見ると、髭を生やしている人は、「下半身丸だしで街を濶歩している」様にしか写らない。しかも「どうだぁー。すげーだろう。」と息巻いている様で、実に滑稽だ。

最近髭面が多くなった?

 そんな風に感じないだろうか? 特に若者に増えた様な気がする。芸能人やスポーツ選手、音楽関係者等をはじめ、街を歩く普通の人や、中年層は自営業に多い様なイメージがある。全然戦争を知らない世代だ。私も知らないが…。
 歴史は繰り返すと言う。日本だけではなく、世界中で、今まで髭ヅラが蔓延した時には、平穏は無かった。ヒトラーやムッソリーニといった恐怖政治家は、誰もが思い出せるだろう。
 それなのに、髭ヅラが多くなってしまっている。無意識であり、ファッションなのだろうが、力で相手を威圧する風潮が、芽生えているのかもしれない。そして、本当に無意識なら尚悪い。歴史を学ばない国は滅びるとも言われている。過去の過ちを繰り返すからだ。ぼーっとして、過ちに気が付かなければ、取り返しがつかないだろう。強いリーダーに、力を持ってきた髭ヅラ中高年に、息巻く髭ヅラの若者。ひどい図式ではないだろうか?

髭面消滅運動

 髭ヅラがこのまま増え続ければ、日本、いや世界の平和が遠のくだろう。だから、減らさなければならないと思う。だか、規制や押し付けで、渋々剃っては欲しくない。一人一人が「なるほど、そうか!」と言って、意識と目標を持って剃ってもらいたいのだ。
 大体、髭なんていらないでしょ? 女性は無くても「不便だ」なんて聞いたことないし、人間の体毛は、どんどん薄くなっているし、猫みたいに、髭が無いと、障害物にあたるって事もないし、日本に住んでいるイスラム圏の人だって、結構剃っているもんねぇ。あんまり重要な物じゃないんだよ。名探偵ポアロだって、重要なのは髭ではなく、灰色の脳細胞でしょ。関係無いか…。
 とにかく、髭ヅラ消滅運動、髭を剃ろう!キャンペーン実施である。期間はずぅーっとだ。もし世界中に平穏が訪れても、髭解禁となれば、また暗黒時代に戻る可能性がある。だからずぅーっとだ。
 もちろん、この程度では、世界平和なんて訪れやしない。しかし、たとえ小さな一歩でも無駄ではないと信じているし、何よりも意識が変わる事が重要なのだ。髭を剃ろうよ!

ご注意

 不適切な表現があったかもしれない。しかし、それを乗り越えてでも、主張をしたかったのだ、という事を汲んで、勘弁していただきたい。
 また、私は決して、ひげそりメーカーの回し者ではない(笑)。こんな事を書いても、得にはならない。

 長らく、題名が「髭ヅラ撲滅運動」であったが、よくよく考えてみれば、"撲滅"とは、なんとも野蛮な事を言っているものだと、気がついた。"撲って""滅ぼす"とは、いやはや…。


追記:おや?ヒゲが見当たらない

 我らが関東FM DJ界のアイドル(?)ジョンカビラ氏のことである。もう全国区でTVでも浸透しているという批難には知らんぷりをキメることにする。で、最近、放映されている保険のCMを見ると「おや?ヒゲが見当たらない。」
 さて、私はずぅーっと長い間、彼のヒゲについて違和感を持っていた。毎朝「グッドモーニング!東京ぉーっ。」とやっていた頃に知ったので、既に“ヒゲ”で、それには慣れているはずなのだが、やはり気になって仕方がなかった。なぜ?って、彼から滲み出てくる『ラブ&ピース』『モルト アモーレ』な雰囲気と、なによりも、彼の名前【慈温】の由来である。「慈愛の心を」ということで、慈の字が入っているのだそうだ。
 「そんな人が、何でヒゲ?」そう思うでしょ? 少なくとも私には、そう感じる。正直、前記の通り、初めて見た写真がヒゲ顔だったので、ヒゲ無しには、もはや違和感すらある(汗)。だが、そんな事に怯んではいられない。愛の伝道師のヒゲが無くなったのである。これでまた一歩“アモーレな世界”に近づいたのではないだろうか。手放しにうれしい! 数年来のモヤモヤが、これでまた一つ晴れた。(注:もうヒゲを生やさないでくれ、という厚かましいお願いをする為の文ではありません。)

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(C)2003 Richard Feynkid