R.Feynkidの
ぶやき

北枕で寝てやったぞ

 私は'神'や'仏'、'悪魔'も、どうでもいいので、否、'悪魔'は、中学の頃以来の、永い付き合いなので、どうでもいいとは言い切れないのだが、何にせよ、信仰心ゼロなので、それらに由来する、迷信はもちろん『迷わず信じない』し、仕来りや風習、習慣、行事なんかも、ヤル気はゼロである。(だからと言って、葬式に行って「こんな事やったって…。」とか言わないよ。)
 という訳なので、恐らく仏教の風習なのであろう『北枕は亡くなった人』という事なんかは、気にしない。ただ、子供の頃から、「北枕で寝てはイカン。」という親の習慣があったので、漠然と、そして、どことなく、やってはイカンという気持ちはあった。刷り込みというのは、偏見を生み出すもんだなぁ。
 で、何で突然、こんな話しになったかと言うと、私は、実家で寝る時に、間取りの都合上、北枕になる事になった。「ん? 待てよ。別にL字とかじゃないんだから、北と南で、頭の位置を、180度回転すればいいんじゃない?」という声が聞こえて来そうだが、そうは行かない。頭を南にした場合、クローゼットからの防虫剤の効能で、害虫と共に、私まで逝ってしまう可能性が出てくる。これは避けたい。てな訳で、北枕に決定なのだ。
 よくよく考えてみると、根拠なんて無い。仏教系、もしくは、八百万の神を、いつの間にか、仏教と混同し、風習化している日本人の様では無い人々は、北枕なんて関係無いだろうし、一部のバクテリアには、地磁気に反応して、南北を問題(?)にするものもあるそうだが、現代人には、北も南も感知する能力は無いので、やっぱり関係無い。私なんか、地下鉄の駅から出てくると、大抵行きたくない方向へ進んだりする(笑)。
 こうなってくると、気分の問題だろう。なので、問題無く寝た。「で? どうだった?」。もちろん、「北枕で寝てやったぞ。ざまぁみろ、わっはっはっはっ。」と、いつに無く爽快であった。一体、どこに向かって「ざまぁみろ。」なのか不明だが、『迷惑を掛けない程度に、何かプチ悪い事をしたい』人とか、反体制が必然のパンクスにはお勧めである。

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(C)2010 Richard Feynkid