R.Feynkidの
ぶやき

一瞬にしてどうでもよくなったけど…

 私は、これを書いている時点で、自らの意志ではあるが、職を失う事が決定している。ちょっと前に、ふらっとドライブに出かけた時、(なんか生きてるなぁ。)と感じた。しかし、職を失う事は、生きて行くのに困難を伴う事である。困難とは収入が無くなる事に由来する。職がある時は、生きた心地がしないものの、生きて行ける。職が無くなれば、生きた心地がするものの、生きづらくなる。困ったもんだ。
 今まで(それなりに)がんばったんだから、ボーナスは貰って辞めようと思っていた。それと同時期に、グループ会社の元事務のUコリン(仮名)も辞めようと思っている事を聞いていた。賛否両論のある彼女だったが、私見では、誰もが嫌がる作業でも、すばやくこなしてくれていたし、事務さんなのに現場の仕事もしてくれた。トラブる事もなかったが、ただ、若者特有の『抑揚の無い話し方』と『遅いしゃべり方』、そしてどう見ても“ギャル”な風貌が、印象を悪くしていたと思われる。
 入社1年経ってすぐ位に、どういう経緯か知らないが、工場勤務になった(制服はジャージに)。まぁ、それ自体は問題ない。彼女の異動に伴って、私は総務にLAN用のケーブルの設置を頼まれた。だが、異動後間もなく、彼女のパソコンは取り上げられ、イーサケーブルは、‘ぶらぁーん’と‘ぼけぇー’とする事になった。これにはカチンと来た。
 どういう訳だか知らないが、あっと言う間に彼女は『掃除のおねぇさん』になっていた。それでも、黙々とこなしていた。
 給湯室で会ったので、「工場に来て、どぉ?」と聞くと、「『態度が悪い』『子供もいるんだし、ここで働きたいんでしょ?』って怒られた。」と言う。「誰もそんな事言ってないし、よくやってくれてるよ。」と慰めると、目に涙を浮かべた。やっぱり辛いんだ。そして、ボーナスを貰ったら辞めると、私もそれを奨めた。
 私は、どうにかボーナスをゲットできるようにしてやろうと思った。全く、利害は無いのに。鼻を垂らして(は、いないか…)いては、ティッシュを持っていき、咳をしていれば、のど飴を供給(?)し、だが、あまり話し掛けないようにした。有らぬ疑いをかけられると、悪いと思ったからだ。それでも『君の事は、ちゃんと支援してますよ。』という意志が伝われば、短気を起こして、ボーナス支給前に辞める羽目に陥るという事はないと踏んでいた。もっともそんなアホではないが…。
 私が意思表示をする前日、言っておかなければいけない事を思い出した。そこで、彼女が席を立つと、追いかけるように、コーヒーをすすりに行った。同グループでもボーナス支給日がずれるので、私が先に『はぁーい、辞めまぁーす。』と手を挙げることになる。だから「いいか、俺の後釜をやれって言われても、『はいっ、わかりました。』って言って、やるんだぞ。ボーナス貰ったら、『はいっ、辞めます』でいいんだから。これからは金(今回のボーナス)のためだけに働くんだ。」と伝えた。だから泣くなよ。
 幸い、私の後釜にはならなかった。1週間が淡々と過ぎようとしていた。ふと気がついた。たぶんこのままでは、どうせ送別会もやってもらえずに退職となるだろう。しかも、ボーナス支給日の次の日には、忽然と姿を消すと思われる。折角がんばってきてくれていたのに、あんまりなので、ちょっと前に撮った“鼻水止めにティッシュを鼻に突っ込んでいる写真”を焼いてあげようと思った。このショットは、私も疲れてヨレヨレで、写真なんか撮っている場合ではなかったにもかかわらず、面白いものが撮れると思ってカメラに収めておいたものだ。
 木曜日にCD-RWを買ってきて、金曜日にデータを落として、ヤマダ電器に行って‘密かに’出力しようとしていたのに準備中…、撃沈である。すぐ近くのコジマにはプリントマシンは無いし、こうなったら、ちょっと遠いがカメラ屋(キタムラを思い出した)に行くしかない。確実な方法に思われたのだが、デジカメプリントのコーナーで、CD-RWを入れ、これを2L判にして、出力!と、操作したのだが、出てきたのはレシートの様な注文票。(これ、レジに持っていくの?)嫌な予感は見事適中。番号札でもくれればいいのに、名前と電話番号を書かれて、会計は写真の出来栄えを見てからだと言う。(えっ、人前であの写真見るんかよ。) もちろん人の手でプリントされ、人の手に渡り、私の元に来る予定だ。出来上がると、店内に響き渡る声で名前を呼ばれ、やはり「写真をご確認ください。」とな。2L判にも引き延ばされた写真を見せられ、ちょっと笑ってしまったが、すぐにエンベローブにしまい、「はい、OKです。」と言い、早くお金を払って帰して欲しかったのだが、「こちら、2L判には使えませんが、割引券になっております。次回…(云々)。」(もういいから、早く帰してぇー。)と心の中で叫んだのだが、「はぁ、どうも。」と言い残して、会計を済まし、逃げるように店を後にした。
 このままでは、なんなので、台紙にでも入れてみようと思い、ダイソー(百均かよっ!)に向かった。でも、2L判なんて入る台紙は見つからないので、シンプルなフォトスタンドにした。が、若干サイズが違うのが後で判明した。ので、ちょっとトリミングして合わせた。
 無事ボーナスも手に入れたことだろうし、月曜日くらいは来るかな、と思っていたら、来ないではないか! (げっ、俺の知らないうちに辞めちゃったかな?)と頭を過ったが、何の発表もないから、ズル(ありえる、笑)か、風邪(先週からひどかった)かなと思った。(まぁ、明日は来るだろう。)
 火曜日、来ない。ヒラリー女史に聞いてみると、体調不良という事になっているらしい。先週からの風邪でダウンか…。(まぁ、治れば来るだろう。)
 水曜日、来ない。朝礼で退職になった事が伝えられた。(えっ? マジかよ、またかよ。)私は激不機嫌になった。ただ、これは彼女のせいではない。たぶん「ご苦労さん、ボーナスゲットおめでとう。」と声をかけてあげたかったというのと、ちょっとでも喜んでもらえる事を期待していたのかもしれない。やめればいいのに、また『誰かのために』とか『喜んでほしい』なんて思っていたのだろう。
 総務に手続きとかで、また来るのかを聞いたら、もう昨日のうちに終わっているとのこと。渡したいものがあると言うと、「お気持ちだけで…。」とやんわり断られる。仕方がないので、ヒラリー女史に頼もうとすると、すっ飛んで来て「お気持ちだけで…。」と、どうしても触りたくない様子。でも、「俺が持っていても仕方がないんだよねぇ。」とゴネてみると、預かってくれた。
 その日コーヒーをすすっていると、ヒラリー女史が部屋に入って来た。「いつ(退職を)知ったんですか?」と訊ねられ、「いやぁ、朝礼で…。」「私にもメールすら無いんですよ。『まぁ、こんなもんかなぁ』って思いましたよ。」
 私は、彼女のその一言で救われた。1年間も一緒に働き、お茶を飲み、昼食を食べて過ごした同性の同僚に『まぁ、こんなもんかなぁ』と言われるんだったら、私なんか、お茶飲み友達でもないんだから『まぁ、こんなもんでしょ。』でいいではないか! 一瞬にして、どうでもよくなった。
 続いて「何を買ってあげたんですか?」と訊ねられたので「買ったって訳じゃないんだけど、ほらっ、あの写真(鼻の前で手を開いてポーズをとる)を焼いてあげようと思ってさ、いい記念になると思って。」「うはっ(笑)、それは持っていても仕方がない(笑)。」 私は堰を切った様に、プリントしに行った時の恥ずかしさを語った。大いに笑ってくれたので、気が楽になった。今回もヒラリー女史には、救ってもらったと思う。感謝!
 もう、あの写真がどうなろうと、あまり興味がない。もったいないので、できれば本人に届けばいいと思うが、まぁ、こんなもんでしょ。
 そんなんで、もう冷めた人間関係しか築けない心になるかと思ったが、しかし、仏教の世界では、“徳を積む”というのは、“誰かのために”ということらしい。つい先日知った。一つのアジアの宗教の、微々たる教えではあるが、良い行ないであると知り、自分はあまりにも間違っているのではないと思い、慰められた(だからと言って、信仰心など芽生えない)。でも、これからも、笑顔すら期待できない無償の愛情を、誰かに、ちょっとでも注ぐことがあるのだろうか? 本当は、そんなこと、私には無理なんだよなぁ。


追記:

 予定通り(?)長引き、1ヶ月半近くにも及んだ引き継ぎも終わり、30日に退職となった。次の日に『退職しちゃってからの送別会』という微妙な行事が控えているせいか、それとも『退職者に慣れちゃっている』せいなのかは判らないが、私も含めて、淡々としている。
 その中で、ヒラリー女史が、「車のキーを持って、玄関に来て欲しいんです。渡したいものがあります。」と言う。なんだろうと思って、玄関でウロチョロしていると、「クレーンの修理に来ましたぁ」なんていうのが来てしまい、「えっ?、あっ!、おっ?、わかんないよ。」と、振り切ったところに、まだ挨拶の済んでいなかった事務さん二人。その日の朝礼で、結婚することが発表されていたので、
「ご結婚おめでとうございます。」
「お世話様でした。」
「お幸せに。」
と、全く噛み合わない挨拶もそこそこにしていると、ヒラリー女史が「早くぅ、早くぅ、これ私からです。内緒ですよぉ。」と言って、渡してくれたのが、黄色いチューリップの花束だ。明るい太陽の様なチューリップは、日も暮れた真冬の寒さを忘れさせてくれた。私は今まで、度々心を救われた事を話し、感謝した。本人は何とも思っていないし、普通にしていただけと言っていたが、だからこそ、偽りのない(私にとっては)慰めになったのだろう。『内緒』であるから、本来は文字通り内緒にしておかなければならないのだが、今となっては、もうお礼もすることができないだろうから、せめて、溢れんばかりの感謝の気持ちを(こんなところではあるが)、書き留め記しておきたい。そう!彼女も新婚さんだ。お幸せに…。
※注意:個人を特定できたとしても、『内緒』であるから、心に秘めておいていただきたい。


さらにちょっと追記:

一輪だけ咲いたツンベルキア  送別会の前に、K島専務が築地(市場)の絶品寿司に連れていってくださると言う。かずなり(仮名)氏なんかは「築地ですくわぁ?築地ですくわぁ?」と決して「行きたい」とは言わないのに、『連れてけオーラ』が天井まで立ちあがっている。『連れてけオーブ』までもが、散弾銃の様に飛んできて当たるのか、とても痛い。
 12時に駐車場で待ち合わせて出発だ。ちょっと遅いくらいでないと、ひたすらに並ぶことになるらしい。閉店(PM2:00)直前に入ると丁度良いそうな。途中、車中ではバカ話しに華が咲いていたのだが、その話しの中で、今日ツンベルギアの花が一輪だけ咲いたということを、教えてもらった。私の退職の日に合わせないところは、皮肉れ者の私に似てしまったのかもしれない。そんなんだから『私の代わり』の様に咲いた事になってしまい、『忘れ形見』とまで言われてしまったではないか。生きてるよぉ!
 その写真は後日、メールで頂いたのだが、何か、微妙、というか、そのぉ、どこか「そうじゃないだろう。」という構図である。一番撮りたい部分を、まん中にすればいいってもんじゃない事を、教えてくれる好例(?)ではないだろうか。でも、他にも数枚同梱されていて、わざわざ送ってくれるのだから、ありがたいではないか。それにしても、一輪だけで、他につぼみも見当たらない。ちなみに、その一輪が散っても、あっしは生きてるからねっ。
 あんなゴチャゴチャしている所に、公営の駐車場があるなんて、ビックリであった。そこに車を止め、寿司店『大』の最後尾に並ぶ。並ぶと言っても、その日はガラガラに等しいらしく、前に3組程度しかいなかった。相当ラッキーらしい。我々は“旬のおすすめコース”を頂いた。マグロ、ウニ、厚焼き、サワラ、アジ、甘エビ(これは何故か2カン出た。)、巻物、アナゴ…(あと何だっけ?イカも食べたかなぁ)。そして、コース最後のプレゼント1カンは、専務はトロ、私はもう一度アジにした。うまい寿司は口の中に甘味が感じられる。甘い物=栄養=うれしい、という本能を刺激する逸品だった。
 晴海ふ頭の無駄に作ってしまった展望台へと向かう。入って、登ってみると、明らかに無駄である。そして、センスの無い色使いといい、景色を台無しにするオブジェといい、これならただのやぐらの方が、よっぽどマシである。しかし、オッサン二人、静かに海を眺めるのもいいものだ。

 長らく無かった久々の送別会で、自分が送られるとは、夢にも思っていなかったのだが、会場へ向かう。途中、エレベータで、(おっ来た。)と思ったら、ドアを閉められてしまい、慌てて手を挟むと、T橋女史が、思いっきり“ドア閉ボタン”を押していた(笑)。
 もう、数名すでに来ていて、出迎えて(?)くれた。以前、忘年会をやったところなので、どこか懐かしい。進行はK井氏である。相変わらずのテンパリ先生ぶりを発揮し、声も裏返っている。究極は「乾杯の音頭を主任に!」と振ったまでは良かったが、2人いるので、「どっち?」との声に、小声で「えぇー、もう、どっちにやらせようかなぁ?」と、無礼講でも無理な発言…。私は聞き逃さない。かずなり氏は、またしても「築地どうでしとぅわぁ?築地くわぁ…。」と怨念が感じられるオーラを出している。
 「宴もたけなわといったところだが…」と、K井氏では進行できなさそうなので、S森氏が「みんなから一言ずつ」と、バトンを回しはじめてくれた。「影響された」「見方が変わった」「いろいろしてくれた」等々、こんなカオスの中でも、何かをすれば、パリティが一つの方向に向く事もあるんだと、改めて感じた。中でもS森氏には「生きているように」と言われた。風前の灯火の時があるからねぇ。私は努めて笑顔でいた。S森氏をはじめ、皆笑顔でいてくれた。でも、こんな時は、本当に胸から込み上げてくるのだ。そして、おかしなことに、それはのどを通り、口に来て、だ液が出てくる。それにしても「加工に向かう姿が素敵でした。」なんてコメントは、一切出てこなかった(撃沈)。みんなホントは、植木に水をやっている姿しか、覚えてないんじゃないの?
 私の挨拶は、送られる気が何故か無いので、一応仕事上の区切りとして、そして、今後も付き合ってもいいという人は、ユルユルと付き合って欲しい旨を伝えた。途切れるのが嫌だった。
 記念撮影は文字どおり、ワイワイという感じだった。笑顔、笑顔、笑顔がひしひしと伝わってくる。帰り際にI橋主任とT橋女史に囲まれて、という“両手に華ショット”を撮ってくれた。なんのポーズも取らせてくれないK林氏の“駿足”シャッター感覚で、いい写真になった。外では、握手をしたりしてから、バラバラになっていった。S森氏とは、二人とも笑顔でいたが、明らかにいっぱい、いっぱいで、妙な作り物の様な風になってしまっていた。恐らく二人とも(もう涙栓スイッチ入る前に帰ろうよ)と思っていたに違いない。冬真っ盛りの夜なのに、寒さを感じない日になった。たまにはぼんやりバスを待つのも悪くない。


まだあるちょっとだけ追記:

 みなさんが寄せ書きをしてくれていたらしい。送別会の時の集合写真を貼り付けて、後でもらえることになっていた。つい先日、なんと宅急便で送られてきた。退職の手続きをしに行った時、私がとっとと帰ってしまったので、渡しそびれてしまったのだろう。言ってくれればもらいに行ったのに…。
 さて、その内容であるが、『いろいろ』という文字が並んでいる。やはり私は、いろいろな事を、そこそこやってきたのだろう。一様にありがたく思われていたようで、苦情に近いものはなかった(ホッ)。もちろん「加工に向かう姿が…。」なんてコメントは、一切無い(沈没)。
 なんにしても、あんなにふてくされて辞めたのに、ここまで、手間暇、お金をかけて、集まってくれたり、送ってくれたりするのだから、私は幸せ者だろう。でもねぇ、送ってもらう必要が無かった方が…ねぇ。

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(C)2007 Richard Feynkid