R.Feynkidの
ぶやき

化粧、塗り過ぎじゃん?

 塗り過ぎの時…あるよねぇ? 化粧の場合『する』という動詞だと思うが、あえて『塗る』という表現にしてみた。一時期のナチュラルメイクが、いつの間にか何処かにいってしまい、『ヤマンバ』の辺りから、「歌舞伎の隈取りかよっ!」っつぅーメイクが闊歩している気がする。
 女性の美への探究は、今に始まった訳ではないが、やり過ぎはどうかと思う。先程の隈取りや、帝王オジー、KISS、アリスクーパーなんかは仕事なんで、構わない。男性と違って、女性は(基本的に)元々可愛く出来ている、ので別に必死にどうにかするもんでもない、と私は思っていた。
 だが、ヤマンバに代表される(?)様に、自分の顔を自己表現の一つとして、メイクしているなら、又は、美の追求で、メイクしているなら、それは文化だし、芸術である。自分の顔をキャンバスに見立て、コラージュしている様に思えてきた。
 と、同時に化粧を絵画に例え、そして化粧をする人を画家に例えられる様にも思えた。すると、ナチュラルメイクは、空間を活かし、淡い色彩で完成する水彩画、大胆に変身を遂げられる様なメイクは油絵、昔モード界を席巻したシックイメージなんかは、ポップアートかもしれない。
 ただ、問題なのは、画家の腕に左右される事だ。絵の描き方は、数をこなせば何とかなるだろうが、センスはどうにもならない。そのためにも、ファッション誌なんかでは、しょっちゅう特集を組んでいるのだろうが、キャンバスに合うかどうかは、結局は画家のセンスに委ねられてしまう。
 眉毛ひとつにしてもそうだ。スーパーモデルのシンディークロフォードさん以来(かな?)、細く釣り上がった『への字』眉だらけだが、あれは『たれ目さん』が多い西洋人向けな眉だ。東洋人は『チャイナアイズ』と呼ばれる『釣り上がり切れ目さん』なので、眉まで釣り上がったら、恐くて仕方が無い。西洋人から見ると、東洋人の目つきは、結構恐いんだそうだ。私が思うに「男は可愛い女を好むが、女は格好いい女になりたい」んじゃないかと。
 話しがそれてしまったが、とにかく、(大きなお世話だが)自分に合っているかを、是非検証していただきたいし、女性は基本的に素のままでも、魅力的に出来ているという事を忘れないで欲しい。そんな事(?)よりも私の懸念は、(特にOLさんは)大変だろうなぁ、と思う事である。なんてったって、朝の忙しい時に、絵画を一枚完成させてなくちゃならないんだから。
 (ここからはオフレコでお願いしたい。) だから『変な』時もあるし、『塗り過ぎ』の時もあるのかぁ。まぁ、芸術だから気分によって、うまくいかない日もあるよなぁ。失敗しても直す時間無いし、そのまま出品…。コンプレックスを抱えているんじゃなければ、失敗して変になっちゃうリスクを負ってまで、塗ったくる必要ないんじゃないかな?

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(C)2006 Richard Feynkid