R.Feynkidの
ぶやき

余命1週間宣言(された様だった)

 別に、私が本当に"余命1週間"を、医師から宣告された訳ではない。気軽に聞いて頂きたい。が、決しておもしろおかしい話しではない。
 さて、私は2005年1月下旬頃から、いわゆる風邪をひいてしまった。この風邪は、私の勤務先では、35才±1才が根こそぎひいてしまうということで、通称"おっちゃん風邪"と言われ、この名前が命名された時は、専務は爆笑、若いもんには「我々ヤングチームはひかないらしいので、がんばりましょう」なんて、朝礼で宣われる始末であった。そして、それは結果的に3月に入ってまでも、私を苦しませ続けた。
 2月の第一週の週末だった。その日は会議だったが、その会議の直前に、別のグループ会社で事務をしているトゥルッホー(仮名)さんに「会社を辞めようと思っている」と言われた。なんとか引き止めたかったが、個人の事情にとやかく言う権利は、私には残念ながら無い。と言うか、誰にも無いだろう。私は「しかたが無い」という様な事を言うしかなかった。彼女は少し気が楽になった様で、表情が明るくなった。
 私の表情は暗くなった(はずである)。それは、彼女だけではなく、直近の事だけでも、3人もの人が辞めているのも、起因している。そして、盛大に送別会をやってもらえる訳でもなく、ひっそりと辞めていっているのだ。私の心は「もう勘弁してくれ」という感じだった。
 そんな中、会議は良い材料も無く重苦しく進み、私もイライラが積もり、「具合が悪い時は口も悪くなるので…」と前置きしながらも、いつになく"文句"のオンパレードをブチ噛ました。それでも「節入り(2月4日前後)という事で、成績が悪かった人も、新年明けたと思ってがんばりましょう。」という様な趣旨の事を言ってしめた。
 が、しかしである。その後、思ってもみない展開が待ち受けていた。課長より、閣下(仮名)が会社を辞めるという発表があったのだ。これには私は潰された。ほんの数時間の間に、2人もの若いもんに辞めたい、辞めるという事を突き付けられたのだ。私はその直前に「安心して働ける会社に」という様な事も言ったばっかりなので、余計に悔しく、悲しく、残念無念で、というより「何だよ、それっ!」という気持ちだった。
 もう、面白くなかった。夜食として出たおにぎりのパックを握りしめ、ツカツカと事務所に戻り、そのパックを燃えないゴミに叩きつけた。もちろんいつも以上に、とっとと帰った。その日は、風呂で声を殺して泣いた、そして思う存分泣いた、気持ち悪くなった。社員が辞めていく会社に明るい未来があるのか…?。
 閣下の送別会は盛大だった。場所はいつもの所である。もっとも"いつもの所"という表現は曲者である。そんなに送別会をやっているのかよ(涙)。そう言えば、そこは、飲んべの閣下推薦の所らしい。まさか、自分がこんなに早々に、そこで送別会をやってもらうとは、ってな感じじゃないかな?
 私は残念ながら、閣下とはあまり思い出が無い。せいぜい"閣下が閣下である所以"の出来事に出くわした位である。それは、部長に引き連れられ、飲みに行った時、閣下が店のおねぇちゃんにオレンジジュースをこぼされて、肩から胸にかかったジュースが丁度、王室系イメージの羽織ものの様に見えた為、閣下とされてしまった事だ。この時は、みんな大受けだった。店のおねぇちゃんは、涙を流して謝っていたが、みんな「Good Job!」なんて言って喜んだ。その後、閣下というニックネームを流行らそうと思って、閣下と呼んでみたら、本人より「シィー」と口の前で人指し指が立ってしまったので、嫌なのかなと思ってやめていたのだが、部長が大っぴらに閣下と呼びはじめてしまったので、皆に広まった。思い出と言えば、そんなもんなので、最後にエールを送り、私の挨拶は簡単に終わった。
 部長の挨拶になると、皆、涙を流した。やはり、永遠でないとはいえ、別れがつらいのだろう。私もひとしきり涙を流した。しかし、発展的な退職であるようなので、悲痛感は私には無かった。でも、うれしくなかった。
 月曜日は、俗に言うバレンタインデーであった。相変わらず私には関係のない日なのであるが、関係ないなら、そっとしておいてくれればいいのだが、この日はダメージまで加わった。朝一番で、トゥルッホーさんに「辞表を出そうと思っている。」と言われたのだ。もうダメだと思ったが、一途の望みとして、また思い留まってくれるのではないか、という期待もよぎった。
 その日の3時に、女性達の粋な計らいにより、バレンタインデーとしてプリンが振る舞われるという。普段ならうれしく思うはずなのに、なんだかうれしくない。そうこうしているうちに、私は急に寒気に襲われて、もう居ても立ってもいられない。病院に行く事を決心したのだが、どうしてもプリンが食べたかったので、なんとか我慢した。しかし、我慢してまで3時を迎える必要があったのだろうか? 3時にトゥルッホーさんは男連中に、「ハッピーバレンタイン!」と笑顔でプリンを配ってくれた。トゥルッホーさんがいかにも食べたそうだったので、「食べる?」と聞いたのだが、いらないと言う。そして、私は少しでも明るく「うまい!」というと、いいなぁという感じである。だからあげるっていったのに…。で、全然ハッピーでも無く、寒気で生きた心地がしない私には、そのプリンが最後の晩餐の様に感じられた。濃厚な味で本当に旨かったので、余計にそう感じられたのかもしれない。味わって食べたかったのだか、みんな味噌汁をすするかの様にプリンを飲み込んでいってしまった。私も一応仕事に戻らなければならないので、仕方無しに少し食べるのを急いだ。
 仕事が終わり、病院に行った。私は熱が十分にあると思っていたので、看護婦に37度3分と告げると、そんなのは序の口だったらしく、重症インフルエンザ患者が優先された。私は軽症のインフルエンザだった。が、しかし火曜日から日曜日まで、ガッチリ休む事になった。
§

 トゥルッホーさんとは、はじめ同じ会社に所属していた。夏の暑い日、廊下で「駐車場に(車を)入れるのに15分(だったかな?)かかっちゃったんですぅ。」と声をかけられた時に、思わず「それは、それは、車が可哀想で。」と言ってしまい、「ひどぉーい。」と二の腕をゲシッとやられ、「ありえなぁーい」とプンスカしながら、去られてしまったり、ある時は、女性社員が入社した際の挨拶の場で、横で「もう、みんなスケベなんだからぁ。」と突然言いはじめ、私は何をどうしたのか「えっ、あっ、そっ、そうだね、すいません。」なんて謝っちゃって、何も悪い事してないのに、有罪打ち首獄門であったりもした。意中の女性の前では、彼女が居ないことを確認しなければいけないと思ったのは、言うまでもない(笑)。
 彼女と私の接点は、コンピュータだった。とにかくエクセル・ワードが解らず、(私から見ると)恐ろしく遅く、危ういのだ。私は、少しこれらのソフトが使えるため、事あるごとに呼ばれ、教えていた。時間的に余裕が無いと、代わりに打ったりもしたなぁ。ただ、教えている時に問題だったのは、彼女がグワッと寄って来たり、覆い被さる様に身を乗り出して来る事だ。私はとりあえず、彼女に触れない様にと、体をよじったり、ナナメってみたり、足を引っ込めてみたりしていたのだが、それに加え、彼女の危ういパソコン操作に、「こんなにパソコンを教えるのが大変だとは思わなんだ。」と思ったもんだった。
 っつーか、危ういというか、頼りないというのは、パソコンに限らず、多枝に渡っていたというのが、正直な感想である。しかし、それを補うかの様に、がんばり屋で、勤勉で、(たまに噛みつくが)素直な所が、皆に『なんとかせねば…。』という気持ちを抱かせていたのだろう。もちろんパーフェクトな訳では無く、テケトウな面もあったのだが…。
 こんな事もあった。彼女が工場の事務所勤務の時、事務所に届いた部品を、工場に持って行くという。「これ全部」みたいな事を言われれば、持っていかざるをえない(笑)。なんとなく手伝う事になった。これも彼女の普段の行いの良さが幸いする(?)、マジックなのだろう。ちなみにその時期、「スーパーの買い物カゴが欲しい。」と言っていたので、「ジャスコに売ってたよぉ。」と教えたら「もういらないです。」だそうだ。その辺のコロコロ具合は、どうもついて行けなかった。そうこうしているうちに、いつの間にか、彼女のサポート組の一人にエントリーしていたのだろう。
 年末の大掃除で彼女は、「爆発するよぉー。」と叫んでいた。何ごとかと思い、給湯室に行くと、火もついていないガスレンジにビビッていた。しかし、それにしては、レンジから1メートルも満たない壁に、張り付いている。本当に爆発するなら、そんな距離ではひとたまりもない(笑)。私は一瞬『誰だ!(彼女を)ここに配置したのは!!』と思ってしまったが、もうどうにもならない彼女の代わりに、レンジを分解する事になった。だが、分解している最中にも、失礼な事に「うわぁー、壊れたぁー。」と人聞きの悪い事を言う。掃除が終わって、組み立てたのも、もちろん私だ。ただ、実際、組み立てたすぐに火がつかず、本当に壊してしまったかと思った。原因は、煮こぼれセンサーに、水がついていたからであったが、ちょっとビビッてしまった(笑)。
 年も明けると、私の方が実に失礼になっていた。年明け早々、「もしかして太った?」なんて、とんでもない事を聞いてしまった。事実、2kg程太ったそうで、「あぁ、やっぱり。」とまで言ってしまった。なんて失礼なんだ!。実に平謝りを繰り返した。 そして数日たったある日に「ダイエットしてやるぅー。」という宣言に、「そんな無理な事は止めた方がいいよ。」などという「おめぇは痩せねぇよ。」的なことを口走ってしまった。しかし、真意は『無理なダイエットは体に悪いから止めた方がいいよ』と言いたかったのであるが、彼女はプンスカ状態である。
 彼女に機嫌を直してもらおうと、コアラのマーチ(彼女の好物らしい)を買っていく事にしたのだが、その日は知人と会う約束があったので、買いそびれてしまった。ようやく買いに行けたのは、夜中の1時だった。帰り際のセブンイレブンで、コアラのマーチを探したのだが、店頭に無い! 仕方なく、店員に「コアラのマーチ無いんですか?」と訪ねると、倉庫にあると言う。『あるなら並べとけよ(怒)』と思ったが、もうお眠なので、とりあえず買って、とっとと寝る事にした。まったくこっぱずかしいったらありゃぁしない。
 翌日(というか私にはその日の内)の朝に、コアラのマーチを献上して、機嫌を直してもらう事にしたが、もう気にしていないという。その辺のコロコロ具合が…。いや、機嫌が直ったのだから良しとしよう。ちなみに午後にはコアラのマーチは、3個位が私に回ってきたと思ったら、カラになっていた。早っ!
 いつぞやなんぞは、PC室(設計)の為に、関数電卓を注文する事になったのだが、「カンスウ?」なんて、頼りない疑問符がついていたので、私が冗談で「カンフー!」と言ったら、事務用品屋に電話する時に「カンフー電卓ありますか?」なんて聞いちゃって、「関数ですよねぇ?」と聞き返されてしまって、無論彼女はプンスカである。横にたまたま居合わせたK梨女史は爆笑だったので、少しは気がついてくれれば良かったのではあるのだが…。しかし、そんな事は彼女には通用しない、「もう口きいてあげません。」とまで言われてしまった。  余談であるが、女性は怒ると"口をきかない"という罰を相手に与えるのだという。実は、中学生の時にもこんな目に遭っていた。その当時、私は洋楽を聞いていたので、日本ものには疎かった。そんな時、隣の子が、「いくら判らないって言っても、これは判るでしょう?」と言って、一枚の写真を私に見せた。『やったぁー、これなら判る!』私は心の中で叫んだ。「勿論、判るさ。風見しんごだろう?」 ドッカーン、それは当時泣く子も黙るスーパーアイドル チェッカーズの藤井フミヤ氏だったのだ。「もう、口きいてあげない!」の一言で、1週間ほんとに口をきいてもらえなかった。無論、クラス中の女子にも知れ渡り、針の席に座る事になった。
 そうそう、忘れてはいけないのが、この件で私は懲役80年は少なくとももらった様なので、保釈される為に、コアラのマーチを献上したのは、想像するに容易い事でしょう。
 このように描かれると、実に自由奔放な人に思われるかもしれないが、その影では、繊細で傷つきやすく、周りに気を使い、身を削り、明るく振る舞っていたのである。まさに自分の心身の健康と引き換えに、場を造り出していたのであった。後半は、事あるごとに「おなか痛い」しか聞いていない。自分の意見を押し通せない、もしくはうまく言うことができない彼女は、へし折られていったのだ。
 少なくとも私には、彼女は自分の思いをぶつけられた様で、真冬の寒空の下で、防寒着も着ず、熱弁を振るってくれた事もあった。しかし、私には何もできなかった。やはり、言いたい事は、当事者もしくは、トップに言わなければ意味が無い。
 そして、彼女には似合わないかもしれないが、もうちょっと、社会の汚い部分にも目を向けて欲しかった。私は本当はそれを望んでいない。しかし、無垢の人は生き辛い社会なのだ。映画のワンシーンで、「子供(のドラキャラ)はダメだ。一人で生きていけないから。」というのがあった。今、ふとその言葉が頭を過った。
§

 かなり最悪のバレンタインデーから一週間。月曜日の朝に、私はふとんから這い出したゾンビ(?)の様ではあるが、出勤した。インフルエンザから生還したのも、つかの間であった。トゥルッホーさんが退職すると、朝礼で発表があったのだ。知らない(私が死んでいる)間に、もう後戻りできない状態に陥っていた。しかも、今月末いっぱいだという。『一週間しかないじゅん! しかも今月は28日までしかないじゃん!』 まだヨレヨレの私は、生還するどころか、絶望にも似たものを感じたのであった。余命一週間生活の幕は切って落とされた。
 早速、彼女に話しかけ、最後の理由も聞いた。もちろん、私にはどうする事もできないので、タメ息をつくしかなかった。その日は仕事をしたのか、どうかも覚えていない。ただ、はっきりしているのは、後一週間しか一緒に仕事ができないという事だ。
 「あれっ?」 いつだったか、私は見なれないノートパソコンを見て、カチンと来てしまった。トゥルッホーさんの後釜のヒラリー(仮名)女史が、そのパソコンを使っているのだ。もちろんヒラリー女史には罪は無いのだが、Tミー(仮名)氏とS井氏を呼んで、「○(トゥルッホー)さんが、あれ程欲しがってたのにコンピュータを与えないで、(ヒラリー女史が)新しく入ってポンとコンピュータじゃぁ、面白くねぇだろう? 最後の最後にひでぇだろう? 差ぁーつけんなよ。」と、からんだ。いろいろと理由があった事、本人にも説明済みという事だが、さらにからんだ。やっぱり具合の悪い時は、不機嫌だ。こうなってくると、本人そっちのけで、私だけが面白くない状態で、1日中ピキピキしていた。
 春一番が吹いた日、私は以前からの懸案であった"ドラム缶の油受け"を組む事にした。確か、水曜日か木曜日だったかな? 会社の玄関先で午前中に組み、午後にはペンキを塗り出していた。と、そこへ若い衆に混じり彼女がお昼休みを終えて帰ってきた。「私も手伝いましょうか?」と言う申し出に、けんもほろろ「いいよ。」と断ってしまった。スパッと行ってしまった彼女は、遠くで「あーん、拒否られたぁー。」と叫んだが、「足でまといって事だよぉ。」なんて、誰かに言われていた。そうじゃねぇって! すぐに郵便局へ行くために下りてきた彼女に、私はすかさず、「さっき断ったのは、ペンキ塗りで汚れちゃうし…。」なんて風にハケを振り回しながら言った。彼女は笑顔で受けてくれた。しかし、私には寂しさが残った。本当はペンキ塗りでなければ、否、ペンキ塗りであっても手伝って欲しかった。単純に話しの一つもしたかったのだ。何を話す? 何も無かったのだが…。また一人で黙々と作業をするしかなかった。
 時間は無意味に過ぎ去っていった。早く楽になりたいという気持ちと、時間が止まればいいという気持ちが入り交じっていた。もう土曜日だった。送別会がある日だ。よく考えてみると、1ヶ月に2度(2週にいっぺん)も送別会があるなんてクレイジーと思う。しかし、それが現実である。
 私はこの事で、自分がもし本当に余命一週間と言われても、何んにもできないだろうという事を思い知らされた。インフルエンザは抜けたものの、ひきっぱなしのおっちゃん風邪の影響で身体は言う事を聞かない。期限はカッチン。しかし、普通に生活をしてしまい、その裏で、迫り来る期限に恐れおののく日々を過ごす事だろう。そして、何もせず終わってしまう。
 トゥルッホーさんの送別会も盛大だった。主賓が大遅刻だったり、S森氏がおっちゃん風邪(?)インフルエンザ(?)でヨレヨレだったりもしたのだが、和気アイアイの雰囲気で始まった。が、私は何となく、不機嫌になり、注文していたウィスキーがなかなか来ないのに加えて、運ばれてきたグラスが向こうのテーブルに行ってしまったのを見てカチンと来てしまい、「Tミー、俺のウィスキー捕ったろぉー!」と叫んでしまい。「怒ってるよぉ」とか「酒乱だぁ」とか「豹変しますからねぇ」なんて声が聞こえてきた。イメージが激悪くなってしまった様であるが、あの時は、乾杯用のビールをグラスに1/3程飲んだだけで、決して酔ってはいない事を自分の名誉の為に言っておこう(笑)。というか、シラフでブチ切れる方が問題か…(汗)。その後、必死にTミー氏がウィスキーを調達してくれて、私はウィスキーにありつけたのだが、先に注文していた方も来てしまった。もう片方がどうなったかは、私は知らない。
 個々の挨拶で、私は「○(トゥルッホー)さんには刺されっぱなしで…。」と始めたところ、本人からダメ出しされて、もう一度最初から話す事になったのだが、2度目も「○(トゥルッホー)さんには刺されっぱなしで…。」と、まぁ、おもしろおかしいエピソードだけを少し披露して、健康に注意する事と、生きていればいい事もあるよ、みたいな事を言った。しかし、I川常務に人生論はセクハラ(?)という指摘を受け、「生きていれば…、いい事…、あるのかなぁ?」なんて意味不明な訂正をしてみたら、全然フォローになっていないと、皆受けてくれた。
 そして、挨拶は進み、刺された人の多い事、手がかかったと言う人、どうすればいいか分らなかった人、などなど、暴露大会に匹敵する状態に突入し、爆笑の渦が舞っていた。それにしても、後から後から、恐ろしいまでのエピソードが軒を列ねた。よって、ほとんど全員が困惑していたというのが、私の正直な見解だ。
 I橋主任も挨拶で涙を流していたが、話しの内容(困惑ぶり)が面白かったので、思わず笑っていたが、今回はO崎主任の涙で、貰い泣きモードに突入してしまった。もう、そこから先は何んにも聞いていない。上役衆の挨拶は完全にどっかに逝ってしまった。ただ、ただ、ただ、ただ、泣いた。何を言われても、『もう、遅いんだよ。』しか頭を回らなかった。涙と共に鼻水が出てきたので、手持ちのポケットティッシュでかんだ。これが後で役に立つとは!? KS貫氏がおしぼりをくれた。何だがどうする事もできず、顔中拭いてみた。これまた、これが後で役に立つ!?んだな。
 トゥルッホーさんの挨拶となった。しかし、実に悪いタイミングで、かずなり(仮名)氏が、どこへ行っていたのか知らないが、帰ってきた。話しの腰が折れてしまったので、私は先ほどのおしぼりを、投げつけてみた。そうしたら、皆おもしろがって、おしぼりを投げはじめた。私は負けじと、先ほどの私の鼻水で重くなった元ティッシュを、更に投げた。結構な量が投げつけられたので、笑いになって良かった。
 彼女の挨拶は、入社以来の事、いろいろ出来ない事があった事等々、いつになくちょっとしんみり気味に話した。そして、役付きの方々にはひとりひとり丁寧に、エピソードを交え、答辞をしていった。でも私は内容をあまり把握していない。なぜなら、顔を上げ、彼女の方を向いているのが精一杯だったのだ。
 どことなく、あっという間にお開きになった。泣き過ぎの私に、同僚は「大丈夫?」とか声をかけてくれたり、隣のT沢氏は背中をポンポンと叩いてくれた。実はそんな中、私は目の前のドルチェが食べたかったのだが、お開きになってしまい、残念に思っていた。こんな状況でも食べ物に目が行くんだなぁ。
 よっこらしょと、さて帰るか状態の時、ふとまだ会費を払っていない事に気付いた。Tミー氏をつかまえ、会費を払うと、伝えておかなければいけないと思っている事を、彼に伝えた。もちろん、更に泣いた。帰り際のトゥルッホーさんが、私に声をかけてくれた。「身体に気をつけて」という様な事だったと思う。私も「○(トゥルッホー)さんこそ、気をつけて」という様な事を言ったと思う。しかし、私が言い終わるか、終わらないかの内に、彼女は行ってしまった。オフコースの名曲『秋の気配』にこんな一節がある。〈僕の精一杯の…(この先は調べてね)〉そんな感じだった。もう、ボロボロの私に、部長が握手をし、抱擁してくれた。人は弱っている時、誰かが側にいてくれないと、生きていけない事を痛感した。気を紛らわすのに、アルコールなんて、私には効かないのだ。
 少しは落ち着いた私は、バスに乗る為、並んでいたが、そこでもやはり、泣いていた。号泣ではないにしても…。バスはすぐに来た。ラッキーな事に席が空いていたので、外を向いて座った。バスが走り出しても、目には涙が溜まった。周りからは、情緒不安定のヤバイ奴に写ったかもしれない。そんな事はどうでもいい。
 日曜日の朝、私はバレンタインデーのお返しを調達に行った。『2月27日に?』と思うかも知れないが、ホワイトデーの日には、もう彼女はいないのだ。先に返しておかねばなるまい。もし、誰もその事に気付いてくれなかった事もあるかと思って、香りが楽しめるベアーを何体か買った。実は、折込みチラシを見て、これだ!と思っていたのだが、身体が言う事を聞かず、どうにもならないでいたのだ。なんだが、モルヒネを打ってもらって、残りわずかを楽しんでいる人の様だった。まだ、具合が悪いのに、午後は兄とHardOffめぐりをしてしまった。1日を無駄に過ごしてしまった様な気がする。
 月曜日はトゥルッホーさんが退職する日だ。朝礼が終わると、集合写真を撮る事になった。私は脚立まで用意して、無駄に張り切っていた? ぞろぞろ、わらわらしながら、無事撮影は終了した。私は仕事がバタバタして、お返しを渡せないといけないと思い、朝のうちに渡す事にした。そして、ちゃっかりメールアドレスも渡した。スメルマニアの彼女には悪くない選択と思ったが、「食べられないよ。」と言うと、ガッカリしていた(笑)。もう何か、果たしてしまった様な思いがした。彼女は、ひとりひとりに挨拶をして回っていた様で、私の所にも来てくれた。でも、もう贈る言葉も無い。まごまごしている間に終了した。
 色紙にメッセージを書いたのも、この日だった様な気がする。しかし、もう書くスペースが残されていなかった(撃沈)。仕方なしに、模様の上に無理矢理書いた。で、何となく他の所に、妙な模様で派手にしてみたのだか、迷惑だったかな? 17:30に、花束贈呈で送りだすという。時計を気にしながら、仕事をしていたのに、遅れてしまった。がしかし、なんも始まっていなかったので、よかった。
 結構遅れて、花束と色紙の贈呈が始まった。という様なセレモニーでも無いが、何か、個々に花束を渡したり、何かを渡したりしている。彼女の目には涙だ。私もつられ、ボロボロモードに突入する。明らかに激泣き状態なのは私だけだ。送りだされる本人よりも泣いてしまっているかもしれない。この時、私は何も考えていない。ただ、最後のシーンを目に、脳に、心に焼き付かせようとしていただけだった。棒立ちの彼女に、S森氏が、「待っていても、列車は発車しないよ。」と言ったので、少し和んだ。本当だ、別れのプラットホームの様だった。そして、トゥルッホーさんは去って行った。
 その後も泣き止まない(どうしようもない)私に、もうすっかり周囲に溶け込みはじめていたヒラリー女史は、「私がいるじゃないですか。」という様な事を言ってくれた。物凄くありがたかった。が、しかしだ、ヒラリー女史よ! あんな状況で、へこみきっている私に、あんな言葉をかけてしまったら、「なんていい人なんだぁー!」と思ってしまうではないか。男はバカな生き物だから、気をつけた方が良い。でもありがたかった。そして、横にいて、背中をポンポンとしてくれた部長もありがたかった。誰かがいるだけで、ありがたかった。お陰で、三途の川に辿り着く前に、道に迷ったらしく、次の日には生還できた。
§

 私は、いい教訓を得たと思う。"誰かを気にかける"というのは、非常に辛い時があるかもしれない事。自分なりに努力したとか、誰かの為にしてあげたとか、何か自分の為になる事を求めているから、それが、悪い方向に辿りついた場合、報われない気持ちになり、へこむのだ。指摘された通り、それは自己満足でしかなかった。もっと無欲に、そして、結果の如何を問わず、それを丸ごと受け止められなければ、自分の情緒を保つ事はできないだろうし、周りも迷惑だ。そして、今の私には、それは耐えきれない恐れがある。しかし、人間だ。仲間が困っていれば、どうにかしたい気持ちになるだろう。今後、私はそのバランスに、気を付けなければならない。私はへこみきる自信があるのだ(笑そして涙)。仲間も大切だが、自分も大切にしなければなるまい。
 私が今回、ここまでへこんでしまったのは、訳があると言って差し支え無い。本人には言った事があるのだが、「最近の唯一の愉しみは、会社に来て、○(トゥルッホー)さんと話しする事なんだよぉ。」である。別に何を話すでも無い。ただちょっと冗談を言ったりするのが楽しかった。その愉しみが無くなるのは辛かった。
 だから正直、私は彼女の事が好きだったのだろう。しかし、私と彼女は何の接点も無い事はわかっていたし、何よりも、私は《人間は、いつも近くにいる異性を、好きになる本能を持っている》事を知っていたので、まさしく、それに自分がはまっている事を認識していた。だから、何万年にも及んで培われてきたDNAをも、自分自身でコントロールし、サポート組の一人として接する事ができたのだと思う。ただ、楽しくおしゃべりの一つもしたいという欲があった事は事実だ。しかし、それがいけなかった。そんな些細と思われる様な欲であっても、それが実現不可能だったり、無くなってしまったりした時の落胆ぶりを、身を持って知ってしまった。欲は、あればある程、それを実現するのに労力を費やす。もしかしたら、私は無欲という"楽な"ものを欲しているのかもしれない。あぁ、また欲しがっている。まぁ良しとしよう。私は別に霞を食べて生きている仙人ではないし、聖人でもない。坊主だって肉を食らう時代だ。大目に見てもらおうではないか…。
 実のところ、今は何だかホッとしている状態だ。というより、もう生還した日から、とりあえずホッとしている。やはり予想通り、私は自分自身のDNAに弄ばれていたのが、明白になったし、自分でも、結構へこんだと思っていたが、それを冷静に見つめる自分もいた。今は、今自分の周りにいる人と、普通に接し、そして粗末にしない事を心掛けている(つもりだ)。それでいいではないか。プラスαが必要と判断した時は、そうすればいい。どうせ私の悩みは尽きない。それとは、やんわり付き合っていくほかない。春二番の南風が刹那く暖かい。

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(C)2005 Richard Feynkid