R.Feynkidの
ぶやき

盆踊りじゃぁあるまいし…fromマハラジャ

 マハラジャが復活したという事で、S森氏が旗振りをして下さり、会社の有志(?)、老若男女、いや「女」はいないので「老若男」、ん?「老」もいないことになっているので「若男」か。とにかく男連中が、六本木にゾロゾロと繰り出すことになった。
 はじめの数曲はユーロビート(死語?)がかかり、「やばい、このテンポ(スピード)はおじさんには辛いぞ。」と思ったが、それが終わると、いわゆるアップテンポのソウルになり、「さぁーて、そろそろ踊ろか。」という気持ちにさせられた。と思ったら、既に上役3人は踊っていた。恐るべしディスコ世代!
 ハコも思っていたより小さく、クーラーもガンガンにかかってはいたが、踊りはじめると暑いもんで、汗だくになった。足がつらない程度に、水分が切れない程度に、酸欠にならない程度に、要は倒れない程度に休みつつ、楽しんでいると、どっかの一団と思わしき十数人が、いつの間にかフロアをほぼ占領し、同じ振り付け(?)で踊り出した。「なんじゃこりゃ。」と思っていると、S森氏が、これは"ソウルステップ"なるものだと教えてくれた。どうやら最近の踊り方らしい。が、「なるほど」となるには程遠いので、「どの辺がソウルなのか?」と尋ねてみた。一瞬、S森氏の「そんな事まで知るかぁー。」という心の叫びが聞こえた様な気がしたが、返ってきた答えは「曲がソウル」という、「納豆は、納豆だから糸をひく」みたいなもんだった。これ以上聞いて、嫌がられるのも困るのでやめた。しかし、彼等のへんな踊りは続く。
 昔、パラパラなんて踊りが流行った。だが、音楽好きは「あれはすぐ廃るよ。」と言っていた。理由は上半身、特にほぼ腕の振りだけで、腰を使って踊らないから、2拍4拍のアフタービートでは、乗り切れないからなのだ。
 今回のソウルステップも、腰を使わず足の動きだけという、身体の局所的な部分しか使っておらず、「ダメだ、こりゃ」の資格十分である。更には全然ビートが感じられないのだ。4つ打ちを基本にして、その上に16打ちが、チャカポコ・チャカポコと乗っかる楽しさがない。はっきり言おう、1・・3・でもなければ、One Two Three Fourでもない、・二の・ハイ!なのだ(笑)。象のダンスかよぉ(刺)。しかも、全員が自分のステップを確かめながらの踊りなので、下を向きっぱなしだ。ワンフロア、十数人がうつむいて("欝"むいて?)、一・二の三・ハイ!、一・二の三・ハイ!。暗いし、ソウルフルでもないし、恐いのでやめていただきたい。
 その点、三者三様、好き勝手に踊る上役3人衆や、どんな曲でもゆったり踊るS森氏の方が自然だ。大体、ディスコなんて、欧米のダンスパーティーの延長でしょ? ならば、大人の社交場である。程々に、しかし楽しく、アイコンタクトの一つもとりながら踊るのが、大人というものではないだろうか。
 農耕民族のDNAが騒ぎだし、みんな一緒に踊りたくなるのは分るが、曲はソウルである、欧米式に自由を謳歌しようではないか。元々、ソウルやブルースといったブラックミュージックは、抑圧された奴隷達の唯一の楽しみであったものだ。自由でなくてどうする? 学校の先生様にでもお遊技を教えていただくか? Fxxk
 まさか、マニュアルが無ければ踊れない、とでも言うんじゃないだろうなぁ、という場面もあった。曲間(?)に、バスドラの4つ打ちで繋がる事があったのだが、どういう訳か、ピタッと踊りが止まるのだ。踊り方が思いつかないのか? 逆にここぞとアドリブを効かせて、自由に踊ろうじゃないか、自由に!
 大いに楽しんだのはおじさん衆(私も含む)だった様だが、若い衆も踊り始めたらそこそこ楽しんでくれた様なので、めでたしめでたしである。フロアにもうチョイ余裕があれば、ムーンウォークでも披露しようと思ったのだが、もう誰も喜んでくれないか…。とにかくThanks Brother!

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(C)2004 Richard Feynkid