R.Feynkidの
ぶやき

ジェンダーフリー政策こそ不自然

 『男女平等』と『男女同等』は違う。私は、男女は平等の権利が必要と思うし、機会の均等など、平等に扱うべきだと思っている。これらに関しては、先進国国民として、誰もが同意すべきだろう。男だから、女だからという理由で、なんらかの足枷があってはならない。
 しかし、これらは『同等』とは違う。男女は全く別の特徴を持ち、同じではない。大多数の人間は、生まれる前(胎児)から、程度の差はあれど、男は男脳になり、女は女脳になるらしい。それは、一生続く。だから、生まれてから、『男女分け隔てなく』というのは、無理なのだ。
 が、ジェンダーフリー政策は、『性差を無いもの』として、『男女同等』を押し付けてくる。狂った様に、男女に同じ事をさせようとしているのだ。人間は勝手に男らしく、女らしくなっていくのだから、行事や選択教科・職業なども、勝手に自分に合ったものを選択していくのだ。門戸を開くという意味での、平等は必要だろうが、行事や選択教科・職業などを、同じにする必要は無い。それこそ、不自然に強要される足枷である。
 ここで、ジェンダーフリーを推進する、優秀でインテリな方に質問だ。

Q:あなたの今までの恋愛対象の内、異性と同性の割合は?
A:異性  %、同性  %

質問の意図:もし、男女を同等に扱い、分け隔てが無いならば、恋愛対象としても同等で、比率は約半分が異性で、残りが同性のはずである。男らしいとか、女らしいという部分に魅力を感じ、惹かれてはいけないのだ。『いい人』を恋愛の対象とするなら、性別は関係無くなる。少なくとも数人は、同性が含まれる様にならなければならない。ただ、間違っても『友情』と混同してはならない。思わずキスしたくなる様な相手としてだ。

 『らしさ』を排除すると、不自然極まりない。例えば、こんな会話も出て来るだろう。「○○君って、女とばっかり付き合ってるらしいよ。男とは付き合えないなんて、人間として失格だよねぇ。」なんて事になりかねない。雛人形・鯉のぼり製造・販売業者が焼き討ちに遭うとか、女性解放運動系のNPOなんて、逆に法人格取り消しになったりするかもしれない。「女だけを解放して、男はほったらかしかよ。」なんとひどい性差別団体なんだ(笑)。
 てな訳で、『男女平等』は目指しても、『男女同等』はやめてもらいたい。というより、『女性優位』の方が、世の中丸く治まるんだよなぁ。

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(C)2004 Richard Feynkid