R.Feynkidの
ぶやき

私がたまぁに見る悪夢

 とは言うものの、現実世界で「えらい目に遭う」というたぐいの悪夢ではなく、寝ている時に見る実際の(?)夢である。そして、悪夢と言えども、エ○ム街の悪夢とか、ジェ○ソンやゾ○ビが出てくる様な、解りやすい恐怖物でもない。
 どんなもんかと言うと、列車ものである。たいていは、私がホームで列車を待っているのだが、そのホームがやたらと長い。新幹線のホームかと思うほど、無駄に長いのだ。そして、列車がやって来る。どうしても、その列車に乗らないといけないらしいのだが、なんと、その列車は、1両編成!。 そして、決して私の目の前では停車せず、無駄に長いホームの、とんでもない所に「ポツン」と止まるのだ。私は、乗り遅れまいと、長ぁーいホームを走る走る…。当然、間に合わない(涙)。しかも、元来た方向に走り去ってしまったりもする(号泣)。
 この「1両編成」というのもクセ物で、運良く列車の扉の前まで行けたとしても、こんどは、なぜか満員で乗れないのだ(涙も枯れる)。
 ちょっと違うバージョンもある。私がいつも(?)の様に、ホームで待っていると、列車が来る。そして、事もあろうに、目の前は前なのだが、1本向こうの線路に停車するのだ。しかも、反対側のホームならいざ知らず、なんとか、そのホームまで走って行けばよいのだが、引き込み線と思われる「ホームの無い所」に止まるのだ。どぉーすればいいの? もちろん、その列車には乗らなくてはいけないみたいだし、よく見ると、客が乗っているではないか。もっとも、到着した時から満員なので、今さら乗れそうもないが…。
 この夢のテーマ(?)は「絶望感」である。もう、どうしようもない状況に、絶望するのだ。それが私にとっては、非常に恐怖を感じる。心理学なんかに照らし合わせれば、「世の中に遅れまいと必死になっている」とでも、分析されるんだろうなぁ。「流されて、漂って、助けが必要」なCMにも似たところがある。IBMにすれば解決か(笑)。
 ちなみに、走っても走っても間に合わないのは、冬場に布団が重くて、ジタバタできないせいかな? 手も足も出ないんだよねぇ。

追記(2004.3.28): 先日見た夢で、ふと思った事があるので、書き留めておく。悪夢程ではないのだが、ある程度の恐怖があった。ストーリーはこんな感じである。
 私はどういう訳か、どこかのガレージにいて、そこから車を借りて、人をどこかに送って行くことになったらしい。車は何故か『プジョー206』のラリールックな物で、しかも何故か『右ハンドル・オートマ』である(笑)。ただ、乗り込んで、エンジンをかけると、アイドリングの安定しない、本物のラリーカーの様なハイチューン車であった。でもオートマ(笑)。
 さて、数人が乗り込んでから、車を出そうとすると、ガレージからバックで出なければならない。私は早速バックした。すると、後方に他の車があることに気がついたので、ブレーキをかけて、止まろうとした。
 が、しかしである。ブレーキが(ほぼ)効かず、ずるずるとバックしてしまう。「うわっ、止まんねぇー。」更に思いっきりブレーキを踏んだつもりだが、これは夢であるので、現実には布団を蹴っていたのだろう。スポンジーなブレーキは、じりじりとしか効かない。フニャフニャなはずである、布団なんだから。なんとか衝突が回避できた時に、目が覚めた。
 現実の寝床で思った。インタラクティブな夢は、脳味噌が随分がんばっているのではないか? 一つの脳が、ストーリーや映像(?)を作り出し、それを認識して、次に行動を起し、その行動よる予想される結果を、もう一度ストーリーや映像に組み込み、再構築して、夢として表現する。
 だから、現実生活での体験よりも、脳が多くの仕事をしていると思われる。何故なら、通常は、物事を認識して、それに対して行動を起していれば、とりあえずは済む。夢の場合は、ストーリーや映像を作り出すという、仕事が付加される。
 その結果、前記の夢の様に、リアルタイム性が失われ、レスポンスが悪くなり、思い通りには事が運ばなくなるのではないだろうか。とにかく、206をぶつけなくて良かった。借り物という設定(?)だし…。
 しかし、何でそこで目が覚めるのだろう? 本来『寝る』ということは、脳が休む事だと思われる。だから、脳がここまで、フル回転する位だったら、起きた方が、まだ『楽ちん』であると、脳が判断するのではないだろうか? 「もうやってらんない。」と。そして、もう一度仕切り直して、「寝ろ。」と要求している様に思われる。
 と、こんな事を一通り思って、寝たのであった。めでたし、めでたし。


追記(2005.4.10):何も無いフロアに行きたい
 右の窓をふと見ると、何も無いフロアが見える。フロアというより、どこかの屋上の様だ。どうやら、私はそこへ行きたいらしい。なぜだかは、わからない。私はそのフロアを横目で見ながら、廊下をまっすぐ進んだ。しかし、右へ行く通路などは見当たらない。何と、左にしか行けない。都内の一方通行じゃぁあるまいし、とんでもない事だ。しかたなしに、左に行き、階段を少し下ったら、なんだか、さびれた駅の地下道商店街の様な所に来てしまった。店の置き看板が通路に出っ張っていたり、人がわらわらと、たくさんいたりする。その人たちにも、店にも用がないみたいだ。今度はそこを必死に走り出した。気のせいか、左へ左へ行っているような気がする。窓があり、ちょっと見渡せる渡り廊下に出た。私の行きたいフロアが見えた様な、見えなかった様な、そんな未確認のうちに、私は再び走り出した。もう、景色なんかは目に入らなくて、ただ、ただ、走っている。全然そのフロアに行くとか、なんとかではなく、闇雲に目の前の道を"試しに"走っているかの様だ。目的すらどっかにいってしまっている。どんなに、人がいても、物や店があっても、やはり関係ない。そこまでヘトヘトになりながら、何も無いフロアに行って、どうするつもりなのか? 何の意味があるのか? 無いものねだりか? いや、自分に無いものではない、"無いもの"をねだっているのか? ますますどうする事もできないではないか。と、目が覚めてからの方が、長い時間苦悩している気がする。

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(C)2003 Richard Feynkid