『お知らせ』

お詫び

 今まで私の起こしたことについて、深く謝罪したいと思い、ペンをとりました。
 そして、すぐに説明が出来なくて、申し訳ありませんでした。弁護士さんにも、本当のことが言えなくて、決断するのに時間がかかってしまったのです。
 また、私のせいで、多くの方々に、大変な迷惑をかけてしまったことも、心からお詫びしたいと思っています。
 私のCDを買った方々、応援して下さった方々、音楽関係の方々、私の嘘によって番組を作った方々、本やインタビュー記事を出して下さった方々、大切な本番の直前に騒動に巻き込んでしまった高橋大輔選手、被爆者の人たち、被災者の人たち、障害者のひとたち、広島市の関係者、友人、家族等、本当に多くの人たちを裏切り、傷つけてしまったことを、心から深くお詫びいたします。
 私がついた嘘は、新垣さんのことだけではありません。
 もちろん、新垣さんとの関係については、新垣さんが話しておられるとおりです。他にも、私の音楽経歴についても、大体新垣さんが話されたとおりです。
 今は、自分を偽って生きて来たことを、深く恥じています。
 そして、私の要求に18年もの間、応じて来たことから、人生が狂ってしまった新垣さんに対しても、お詫びしたいと思います。
 ただ、耳のことについては、新垣さんが、出会った初めころから、聞こえていたはずだと言われていることは、事実とちがいます。
 耳が聞こえなくなって、手話サークルに参加して、それから、聴覚障害2級で手帳をもっていることは、まちがいありません。
 そして、耳が聞こえなくて、ひどい耳鳴りに悩まされ続けていたことは本当です。
 しかし、耳のことでは、最初弁護士さんにも、正直にお話しできなかったので、そのことについて説明します。
 実は、最近になって、前よりは、少し耳が聞こえるようになっています。
 三年前くらいから、耳元で、はっきり、ゆっくりしゃべってもらうと、こもってゆがむ感じはありますが、言葉が聞き取れる時もあるまでに、回復していました。但し、それはかなり体調に左右されるので、体調が悪い時は、耳元ではっきりゆっくり話してもらっても、聞き取れないこともあります。しかし、2月4日に初めて弁護士さんに会った時は、今も全く聞こえないと、言ってしまいました。
 私としては、新垣さんに作曲してもらったことが、バレることによって起きることで、頭がいっぱいで、耳のことも聞かれたのですが、怖くて、本当のことを言えませんでした。音楽的経歴のこともそうですが、他の嘘のことを話すと、引き受けてもらえないと思ったのです。
 もう、週刊文春が出る直前でしたから、すがる思いで相談していました。新垣さんの会見自体は、見ていませんでしたが、知人からも、耳のことが問題になっていると聞き、本当のことを言わなくてはと思い、2月7日に少し聞こえるようになっていると話しました。
 ただ、この時は、人の言葉は聞き分けられないと、説明したのですが、色々な情報が出ていると聞き、もうこれ以上は、嘘はつけないと思い、2月9日になって、耳のそばではっきり話してもらえば、人の言葉も聞き分けられる時があることを、告白しました。そうすると、弁護士さんからは、最初から聞こえていたのではないかとも、質問されましたが、それだけはちがいます。
 全然聞こえなくなって、聴覚障害の認定を受けていたことと、3年前くらいまでは、聞こえていなかったことは、真実です。
 もうこれ以上、嘘に嘘を重ねるのは、やめると決めました。
 ですので、今日、ここに書いていることは、天地神明に誓って真実です。耳のことについては、専門家による、きちんとした検査を受けてもいいです。その結果、二級ではないと判定されたのなら、手帳は必ずお返しいたします。
 それと、いくつかご説明もさせて下さい。
 もちろん、すべて真実をお話しすると決めたので、この後に書くことに、嘘はありません。
 まず、私と新垣さんの関係は、二人きりの秘密でした。
 この嘘がバレとしまうと、身の破滅になると、恐れていたので、妻にも、誰にも話していません。
 妻も、新垣さんのことは知っていますが、現代音楽の専門家なので、作曲の仕方などを教えてもらっているとしか、説明していませんでした。
 また、新垣さんへの指示書を書いたのは、私です。
 お義母さんに、妻の筆跡だと言われていると聞いて、驚きましたが、誤解です。
 何かの一部を、妻に書いてもらったことはあるかもしれませんが、そのくらいです。
 私の実家に、ピアノがあったのは、引っ越す前のことだったので、お義母さんの知らない時期のことです。
 もちろん、お義母さんの言われるとおり、私のせいで、妻にも辛い思いをさせています。
 妻が望むなら、離婚してもいいと思っています。
 そのことは、妻の判断に任せます。
 それと、私が被爆二世であることも、真実です。
 私の両親は、共に広島で被爆しています。
 二人とも、被爆者手帳を持っておりますし、弁護士さんにも、写真で確認してもらっています。
 私がやってきたことは、売名行為と見られても、仕方のないことです。私自身、そういう気持ちが、一方にあったことは、まちがいありません。
 しかし、ある時期からは、被爆者や震災の被災者の人たち、障害を持った人たちの、助けになればという気持ちも、まちがいなくありました。
 もちろん、今となっては、そのような事を言っても、信じてもらえないかもしれませんが、心の中には、いくつもの思いがあったことも、確かなのです。
 しかし、私の気持ちを信じてくださった方々に、もっと大きなショックを与えてしまったことになります。
 本当に、取り返しのつかないことをしてしまったと、思っています。
 もう一つ、弁護士さんに、はじめにお願いしたことなのですが、私が新垣さんに作ってもらった楽曲は、私のことさえなければ、きっと後世に残るはずのものですし、今はこの楽曲が生かされ、少しでも周りの方々の被害が少なくなるように、してもらいたいと思います。
 最後になりますが、やっと気持ちが整理できましたので、近い内に、必ず公の場で、謝罪をさせていただきます。
 本当に、申し訳ありませんでした。

 平成26年2月11日

佐村河内守

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